運命の二つの考え方
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     因果律と予定調和説の二つあります。

因果律: 全てに原因がありその結果として事相が起きる
 

      
因→縁(植物なら、太陽、栄養、土壌)→果
  植物を例にとりますと 種→ →果
             (因  
  
    (結果)       
               
太陽、日差し   実、種
               太陽、日差し
               土壌、飼料
               季節、周囲
               
 種を播きます。
 でもそのまま実が成ったり、種が取れたりする訳では無い。
 土、栄養、日差し、季節、春播くのに冬だったら枯れるでしょう。
 それらをひっくるめて
と 呼びます。


 この世、宇宙は全て原因があって結果が出る。

 釈迦仏はいきなり釈迦に成ったのでは無く、三十七の修行と段階
を経て、悟りを開いた。この過程を経なければ、神や仏と言えど何
一つ叶わない。

 神仏さえ、因果律からは抜け出せない。


予定調和説: 

 この世の凡ては、天地創造の頃から決まっている。
 人がいくら努力してもどうにも成らない
 
 予定調和、予定説
とも謂います。
 主としてキリスト教文化圏で多く観られる思想です。


 
この世は神が六日プラス一日懸けて作った。
 人も神の形を模して作った。 
 神が創ったのだから、出来そこないは、人であれ、物であれ生か
すも壊すも神の勝手。
 
 我々が陶芸品を作った時、気にいら無ければ壊す。
 壊されても陶芸品は文句を言わない。
 同じ様に何があっても人は神に対し、従順に受け止めなければな
らない。

 
仮に人が善行を行えば助ける、となれば、全能の神が人の行いに
支配される事になる。



 人がどうあろうとも、神は神だし、人は人である。
 神は因果律を超越した存在である、と
之が主旨。
 
 一例を挙げると、モーゼがユダヤの民を率いてエジプトを脱出した時、
紅海を別けた、天からマナが降ってきた、全て神の力。
 モーゼが修行した話は何処にも無い。

 キリストが病人を癒した、その弟子も神の許しを得たと言って癒せる
様になる。やはり神の一言、許しによる。
 
 これを進めていくと全ての
未来は神の定めにより決まっている。と謂
う事になります。

 現代人には因果律が受け入れ易い様ですが、予定調和説もあながち
否定は出来ません。
 我々は必ず死を迎える。天体は必ず周期律で動く。
 定められていて変える事は出来無いものもありますので。
 
 この
予定調和説は主としてカトリックの主旨です。

 そして、キリスト教のメインテーマは道徳や規律では無く、
 
審判の日が必ず未来来る、と言う預言です。

 その日に神に選ばれた人間だけ天に昇り、選ばれぬ
人間は永遠の劫火に焼かれる!

 只、問題なのはどうすれば選ばれ救われるかは聖書
に具体的には書かれて無いのです。

 善行を積めばとか、祈ればとか、具体的にこうすれば必ず
天に昇れる、神に愛され永遠の命をもらえると言う事は記述
が無いのです。

 何故なら
それこそ予定調和で、神がこの世を造った時に全
ては決まっている事なのです。
 
中世カトリック教会はその質問を嫌がります。
そこである時期、一般信者達に聖書を読むことを禁じる事
さえしましました。

 その代り
免罪符を買えば罪が許され、審判の日に救われる
としました。

 これに
反発したのがプロテスタントです。

 イギリス王室はカトリックからプロテスタントに改宗します。
 離婚をプロテスタントは認めていたので。

 その英国が中心となってアメリカ移住が始まります。
 そして今の米国の基礎を固めます。

 同じキリスト教国でも、近世、
米国に於いては、初期移民
殆(
ほとん)どプロテスタント系だった為、プロンティア時代因果
律が流行しました。

 これらが実存主義へと移行し、現代に至ります。















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